120th anniversary
120周年特設ページ

平岡織染は
120周年を迎えます

明治35(1902)年の創業から今年で120年。平岡織染は明治、大正、昭和、平成、令和とたゆまぬ変化とチャレンジを続けてきました。

明治35年(1902)

染辰創業~糸染加工から織物染色へ~

平岡辰次郎、はなが染辰を創業
あくなき探究心により「化学染色の染辰」へ

明治35(1902)年8月、平岡辰次郎、はなにより東京府北豊島郡三輪町(現在の東京都台東区三ノ輪)において、染辰染工場として創業。創業時は糸染加工の揺籃期にあたり、綿・麻の精練漂白と染色を主な事業とする。その後、明治40(1907)年には糸染加工から織物染色分野に進出、関東において初の別珍コール天の染色を行う。そして、明治43(1910)年には、当時、関西の福助足袋株式会社と需要を二分した大手足袋メーカー鬼足袋株式会社からの受注を一手に引き受け、それに伴い事業を別珍コール天染色に専念する。

昭和10年(1935)

平岡織染株式会社誕生 ~衣料から産業資材へ~

染色加工から染色・防水加工への一大転換期を迎える

昭和10(1935)年2月11日、染辰染工場を平岡織染株式会社に改組。事業を別珍コール天染色から帆布の染色・防水加工へと転換。衣料から産業資材の樹脂加工へと大きく転換するものの、その後、昭和12(1937)年には平時産業より軍需生産への転換を余儀なくされる。

昭和20年代(1940〜1950年代)

新生平岡織染の誕生 〜終戦・戦後復興とともに新たなステージへ〜

合成繊維帆布の防火・防水加工技術の確立
「技術の平岡」へ

終戦から2年後の昭和22(1947)年には平岡義次が2代目代表取締役社長に就任。そして、昭和25(1950)年には日本初となる綿帆布の防火・防水加工技術を、昭和29(1954)年には同じく日本初となる合成繊維帆布の防火・防水加工技術を開発。戦後の合成繊維の隆盛と足並みをそろえた独自の新技術確立により、技術の平岡として広く認識されるように。

昭和30年代〜昭和40年代(1960年代)

戦後の高度経済成長とともに 〜製造・営業拠点の拡充期〜

最新機器を導入した草加工場竣工、
大阪営業所の開設

昭和37(1962)年には草加工場が竣工、昭和43(1968)年には草加プラスチック工場が竣工と、新しい技術を製品化する製造拠点が完成する。また、昭和40(1965)年には大阪営業所を開設、のちに大阪支店に昇格と、戦後の高度経済成長を背景に全国規模の企業へと成長していく。

昭和4050年代(1970〜80年代)

戦後の高度経済成長の終焉 〜さらなる新技術の開発と製品ラインナップの拡充〜

レザー・ターポリン分野への参入
そして、2度のオイルショックを乗り越えて

昭和46(1971)年にはバッキング加工技術を、昭和55(1980)年には綿帆布の高周波ウェルダー縫製技術を開発、「ヒラオカUテープ」や建築養生メッシュ「ターポスクリーン®」シリーズ発売と、新技術の開発と製品ラインナップの拡充を次々と行ったのが、この時期である。また、昭和49(1974)年には滋賀ターポリン工場が竣工、レザー・ターポリン分野へ本格参入する。

平成年代(1990~2010年代)

大きく変化する時代の荒波を乗りきって 〜グローバル企業としての歩みをスタート〜

試練を糧としてさらなる企業成長へ

平成3(1991)年のバブル崩壊以降、業界的には重布の需要減少など閉塞した状況を迎える。しかし、当社はそれまで限定的だった製品販売ルートの新規開拓やさらなる製品ラインナップの拡充に積極的に取り組むことで、独自の活路を見出していく。後のリーマン・ショック、東日本大震災といった幾多の荒波を乗りきってきた。

令和期(2019年~未来へ)

未来への挑戦 ~120周年の歴史をもとに新たな地平へ~

創立120周年を迎えて、これからも海外での事業展開などグローバル企業としての歩みを進めることや新たな事業へ挑戦し続けます。